第1回 ピアアート展 受賞発表
2020年10月26日
第1回 ピアアート展 受賞発表
【大賞】
芝田勝彦さん

作品展示ページ
https://peerart.jp/blog-entry-12.html
【審査員特別賞】
大谷浩一さん

作品展示ページ
https://peerart.jp/blog-entry-7.html
佐藤由幸さん

作品展示ページ
https://peerart.jp/blog-entry-2.html
西垣雅美さん

作品展示ページ
https://peerart.jp/blog-entry-5.html
【入選】
國島節子さん

作品展示ページ
https://peerart.jp/blog-entry-4.html
杉下警部さん

作品展示ページ
https://peerart.jp/blog-entry-9.html
巳田舷煌さん

作品展示ページ
https://peerart.jp/blog-entry-11.html
(※五十音順)
◎審査委員長講評 山谷ただし
1976年 富山県生まれ。
大阪芸術大学 芸術学部 芸術計画学科 中途退学。
東京通信大学 人間福祉学部 精神保健福祉モデル在学中。
保育士、児童指導員。
26歳の時に、第2回新人4コマまんが展(芳文社)奨励賞
36歳の時に、VAZIAL SAGA外伝~月人リツキ~(StudioGIW、電子書籍単行)
「正直、売れないのに。当時、なんで漫画を描いていたかわからない。」と自身を振り返る。
LGBTIQQs当事者(MtX)であり30代~40代初めの期間、社会生活上女性として生活した経験がある。
39歳の時に、性ホルモン剤の急断薬で、薬剤性鬱になり縊死自殺を図る。
自殺未遂後、後遺障害のリハビリの過程で、埼玉県越谷地域での精神医療・福祉の取り組みに携わり、福祉職員に転向。
現在、埼玉県のNPO法人で、精神福祉職員として勤務。

※講評準備中※
◎審査委員講評 江中裕子
1960年世田谷区生まれ。
現在埼玉県朝霞市に在住。先天性肺動脈狭窄症。幼少時、自家中毒を繰り返す。小学校4年生から自律神経失調症になる。32歳頃、鬱病発症。後に統合失調症から重度の強迫神経症になる。摂食障害、一過性精神障害にもなった。
幼少時から祖母の躾により神経質で病弱だったが、絵は得意だった。高校卒業後、ガス会社に入社。仕事が嫌で毎日やめようと思っていたが、結局約14年勤めた。13年目頃から同僚が自分の思っている事を知っていると思い始め、先輩に心療内科を紹介してもらい、鬱病と診断される。仕事も好きになり、やる気満々時の14年目頃、歯科からの帰り道、突然往来で下着を下ろして自分の肛門を触って手が汚れたと思い、それが頭から離れず、以来何度も手を洗うようになった。会社から帰ると、バックの中身を全部何度も消毒しているうちに昼になり、やっと出社して残業して帰るという日が続いた。上司から、頼むから休んでくれと言われて心療内科の紹介で東村山市にある精神病院に行き、分裂病と診断される。数年通院後、担当医の移動の為、近所のクリニックに転院。とことん洗って良いと言われ、その通りにしていたら、夜も寝られず食事もとれず、身長157cmで体重34kgになる。担当医から30kg切ったら死ぬ、と言われて頑張って食べた。手の皮が剝げボロボロだったので、手袋を着用したら以来はずせなくなった。約1年入院後、強迫神経症ということで慈恵第3病院に森田入院する。入院中は治り始めたが、退院後再発。再び慈恵第3病院に通院していたが、ある時友人とのトラブルで幻聴・幻覚が表れ、急性一過性精神障害ということで平川病院に入院した。
入院中、友達になった一人が退院するというので、別の友人が退院祝いに花吹雪を作ろうと雑誌を破っていたのを見て、「もっときれいな色で作ったら?」と言った時、「あっそうだ、私はコラージュを作ったことがあるからそれを作って退院祝いにしよう。」と思ったのがきっかけで、ナイフもはさみも使えない閉鎖病棟内で手袋をはずし、素手で雑誌をちぎって作品を作るようになった。その名残で今でも作品は、手袋をはずし手でちぎって糊で貼って作っている。それが私にとっての”癒し”としての自己表現となっている。
私は、昔から現代人は肉体の病気も含めて何らかの病を全ての人が抱えていると思っている。そういった人々の為にも”癒し”となる作品をこれからも作り続けていきたいと思う。
安彦先生のアトリエでは、メンバーの中で今の所女性は私一人。皆個性の強い人ばかりだが、安彦先生は個性を重視してくれるので、それぞれ違った絵を描きながらもお互いに刺激し合い、それぞれの持つ病状が出た時はいたわり合ったりする。私にとっては第2の家族であり、メンバーの長谷川氏の言うところの「ソウルメイト」になっている。
(出典:精神科病院での芸術活動・37年の軌跡 行人舎)

※講評準備中※
◎審査員講評 立川くるみ
大谷浩一さん
一作目は火の玉を思わせるような玉、下部も炎のように見えます。背景が黒であるものの、火花のようなカラフルな塵。強いエネルギーをを感じる作品ですね。二作目は炎のようにも液体のようにも見え、血液にも近い印象ですが、模様としても面白いです。三作目は二作目と似ていますが、人の横顔にも見え、二作目よりも穏やか。四作目は細胞か、宇宙かのようなイメージ。一昨目と近い色使いであり、その表現からこれも作者の熱い何かを感じます。
杉下警部さん
これは阿佐ケ谷駅前の地図でしょうか。阿佐ケ谷から渋谷行きのバスの記述がある一方で日野とも書かれているのは何を意味するのでしょうか。左下の視覚は点字ブロック、右エリアはエレベーターマークのようにも見えるところから、そのまんまの地図というよりも何か秘密の宝の隠し場所を暗号で記している地図のようにも見えます。
巳田舷煌さん
全体的に成就されない想いの話が多く、悲哀感が漂いますが、ファーストガンダムのシーンや“高倉健気取り”“サナダムシ”といった表現等にユーモアを感じます。作者自身の経験が元となったであろうエピソードが盛り込まれ、精神科や透析の世界を垣間見ることができます。“靴下”の主人公島津からはハッブル定数、インフレーションモデルなどマニアックなセリフが出てきますが、オタク心くすぐられる要素です。私的には“性”が一番心に残りました。
【略歴】
立川くるみ
日本大学芸術学部映像学科映像コース卒。
アニメーター月岡貞夫氏の元にて動画作画経験あり。眼球使用困難症、慢性疲労症候群。

◆お詫び◆
第1回 ピアアート展は、施設展示が見送りになりました。
オンライン展示作品を見てくださった皆様、出品者様、関係者の皆様に、お詫び申し上げます。
令和3年7月30日 ピアアート展実行委員会 山谷ただし
【大賞】
芝田勝彦さん

作品展示ページ
https://peerart.jp/blog-entry-12.html
【審査員特別賞】
大谷浩一さん

作品展示ページ
https://peerart.jp/blog-entry-7.html
佐藤由幸さん

作品展示ページ
https://peerart.jp/blog-entry-2.html
西垣雅美さん

作品展示ページ
https://peerart.jp/blog-entry-5.html
【入選】
國島節子さん

作品展示ページ
https://peerart.jp/blog-entry-4.html
杉下警部さん

作品展示ページ
https://peerart.jp/blog-entry-9.html
巳田舷煌さん

作品展示ページ
https://peerart.jp/blog-entry-11.html
(※五十音順)
◎審査委員長講評 山谷ただし
1976年 富山県生まれ。
大阪芸術大学 芸術学部 芸術計画学科 中途退学。
東京通信大学 人間福祉学部 精神保健福祉モデル在学中。
保育士、児童指導員。
26歳の時に、第2回新人4コマまんが展(芳文社)奨励賞
36歳の時に、VAZIAL SAGA外伝~月人リツキ~(StudioGIW、電子書籍単行)
「正直、売れないのに。当時、なんで漫画を描いていたかわからない。」と自身を振り返る。
LGBTIQQs当事者(MtX)であり30代~40代初めの期間、社会生活上女性として生活した経験がある。
39歳の時に、性ホルモン剤の急断薬で、薬剤性鬱になり縊死自殺を図る。
自殺未遂後、後遺障害のリハビリの過程で、埼玉県越谷地域での精神医療・福祉の取り組みに携わり、福祉職員に転向。
現在、埼玉県のNPO法人で、精神福祉職員として勤務。

※講評準備中※
◎審査委員講評 江中裕子
1960年世田谷区生まれ。
現在埼玉県朝霞市に在住。先天性肺動脈狭窄症。幼少時、自家中毒を繰り返す。小学校4年生から自律神経失調症になる。32歳頃、鬱病発症。後に統合失調症から重度の強迫神経症になる。摂食障害、一過性精神障害にもなった。
幼少時から祖母の躾により神経質で病弱だったが、絵は得意だった。高校卒業後、ガス会社に入社。仕事が嫌で毎日やめようと思っていたが、結局約14年勤めた。13年目頃から同僚が自分の思っている事を知っていると思い始め、先輩に心療内科を紹介してもらい、鬱病と診断される。仕事も好きになり、やる気満々時の14年目頃、歯科からの帰り道、突然往来で下着を下ろして自分の肛門を触って手が汚れたと思い、それが頭から離れず、以来何度も手を洗うようになった。会社から帰ると、バックの中身を全部何度も消毒しているうちに昼になり、やっと出社して残業して帰るという日が続いた。上司から、頼むから休んでくれと言われて心療内科の紹介で東村山市にある精神病院に行き、分裂病と診断される。数年通院後、担当医の移動の為、近所のクリニックに転院。とことん洗って良いと言われ、その通りにしていたら、夜も寝られず食事もとれず、身長157cmで体重34kgになる。担当医から30kg切ったら死ぬ、と言われて頑張って食べた。手の皮が剝げボロボロだったので、手袋を着用したら以来はずせなくなった。約1年入院後、強迫神経症ということで慈恵第3病院に森田入院する。入院中は治り始めたが、退院後再発。再び慈恵第3病院に通院していたが、ある時友人とのトラブルで幻聴・幻覚が表れ、急性一過性精神障害ということで平川病院に入院した。
入院中、友達になった一人が退院するというので、別の友人が退院祝いに花吹雪を作ろうと雑誌を破っていたのを見て、「もっときれいな色で作ったら?」と言った時、「あっそうだ、私はコラージュを作ったことがあるからそれを作って退院祝いにしよう。」と思ったのがきっかけで、ナイフもはさみも使えない閉鎖病棟内で手袋をはずし、素手で雑誌をちぎって作品を作るようになった。その名残で今でも作品は、手袋をはずし手でちぎって糊で貼って作っている。それが私にとっての”癒し”としての自己表現となっている。
私は、昔から現代人は肉体の病気も含めて何らかの病を全ての人が抱えていると思っている。そういった人々の為にも”癒し”となる作品をこれからも作り続けていきたいと思う。
安彦先生のアトリエでは、メンバーの中で今の所女性は私一人。皆個性の強い人ばかりだが、安彦先生は個性を重視してくれるので、それぞれ違った絵を描きながらもお互いに刺激し合い、それぞれの持つ病状が出た時はいたわり合ったりする。私にとっては第2の家族であり、メンバーの長谷川氏の言うところの「ソウルメイト」になっている。
(出典:精神科病院での芸術活動・37年の軌跡 行人舎)

※講評準備中※
◎審査員講評 立川くるみ
大谷浩一さん
一作目は火の玉を思わせるような玉、下部も炎のように見えます。背景が黒であるものの、火花のようなカラフルな塵。強いエネルギーをを感じる作品ですね。二作目は炎のようにも液体のようにも見え、血液にも近い印象ですが、模様としても面白いです。三作目は二作目と似ていますが、人の横顔にも見え、二作目よりも穏やか。四作目は細胞か、宇宙かのようなイメージ。一昨目と近い色使いであり、その表現からこれも作者の熱い何かを感じます。
杉下警部さん
これは阿佐ケ谷駅前の地図でしょうか。阿佐ケ谷から渋谷行きのバスの記述がある一方で日野とも書かれているのは何を意味するのでしょうか。左下の視覚は点字ブロック、右エリアはエレベーターマークのようにも見えるところから、そのまんまの地図というよりも何か秘密の宝の隠し場所を暗号で記している地図のようにも見えます。
巳田舷煌さん
全体的に成就されない想いの話が多く、悲哀感が漂いますが、ファーストガンダムのシーンや“高倉健気取り”“サナダムシ”といった表現等にユーモアを感じます。作者自身の経験が元となったであろうエピソードが盛り込まれ、精神科や透析の世界を垣間見ることができます。“靴下”の主人公島津からはハッブル定数、インフレーションモデルなどマニアックなセリフが出てきますが、オタク心くすぐられる要素です。私的には“性”が一番心に残りました。
【略歴】
立川くるみ
日本大学芸術学部映像学科映像コース卒。
アニメーター月岡貞夫氏の元にて動画作画経験あり。眼球使用困難症、慢性疲労症候群。

◆お詫び◆
第1回 ピアアート展は、施設展示が見送りになりました。
オンライン展示作品を見てくださった皆様、出品者様、関係者の皆様に、お詫び申し上げます。
令和3年7月30日 ピアアート展実行委員会 山谷ただし